社会人10年目の僕がスキーマ療法に人生を賭けてみた

慢性的な生きづらさを感じ人生に幸せを感じられない僕が変われるかどうかを見届けるブログ

カウンセリング【7日目】パニック発作に筋弛緩法を試す

f:id:mochi00:20200718205235j:plain

「カウンセリングに来るようになって、これまで以上に、自分の感情や気持ち、体調なんかに目を向ける機会が増えました。」

カウンセリングの始まりにいつも先生から「今週はどうでしたか?」と聞かれるので、僕はそう答えました。

「僕の場合、パニック発作が起きやすいので、ストレスがかかると突然その症状が出てしまい、体調が急激に悪化します。」
最近は休職中ということもあり、あまりストレスがかかるようなこともないのですが、それでもたまにストレスを感じると、頭がぼーっとしてきて視界がぼやけ、食欲が全く無くなってしまったりします。

でも、それはまだまだ症状としては軽いほうで、休職前、前回の記事に書いた同僚Nさんからの嫌がらせを受けたりしたときには、耳がほとんど聴こえなくなり、汗がぽたぽた落ちるくらい出てきて、手足は痺れて動かなくなり、強い吐き気で嗚咽します。頭はほとんど働かなくなるので、仕事なんて全くできない状態になります。

それが、ほぼ毎日のように起きていました。休職する直前の時期には出勤途中の電車内でも何度か起きてしまい、駅員さんに介抱されたことも…
そのくらい、会社に行くことが怖くて怖くて仕方ありませんでした。

先生はその話を聞き、僕に『筋弛緩法』を教えてくれました。
椅子に座った状態で、深く息を吸い、息を止め、身体のいろいろなところに力を入れ、そして息をゆっくり吐きながら身体の力を抜いていく。
1日5分間ほどでできるようで、始める前にネガティブな出来事などを思い起こし、それから始めることにより、身体の緊張が解けると同時に、心の緊張も解けていく という感覚を身につけるというものだそうです。
(僕も教わったばかりなのでよく分かっていません。)

電車に乗る前や、会社の始業前などに行なうことでリラックスした状態になり、パニック発作が起きにくくなるそうです。

「パニック発作とはずっと付き合っていかないといけないのかな…」と思っていたので、これで解消されるなら試す価値ありですよね。なかなか継続するのが苦手な人間ですが、頑張ってやってみようと思います。

 

カウンセリング【6日目】同僚Nとの出来事

f:id:mochi00:20200713164308j:plain

同僚のNは僕の後輩ですが、何かと突っかかって来ることが多く、また、仕事の話をしようとしてもまともに対応をされたことがほとんどありませんでした。
僕のことを敵視していた人間は、当時職場に少なくとも3人居ましたが、そのなかでもNは別格です。
そのため、当時のことを思い出して書くコラムシートには、7割以上の確率でNがストレッサーとして登場します。

今回のカウンセリングでは、そんなNの話が中心になりました。

まだ僕が今の担当に配属されて間もない頃、Nといっしょに電車で移動する機会がありました。
そのときNは、次のプロジェクトで一緒に仕事をすることになる別チームのUさんについて、「あの人は使い物にならないと思ったほうがいいですよ」と言ってきたので、「どうして?」と聞くと、「一度話してみればわかります(笑)」と笑いながら言いました。
Uさんは僕とNからすると役職が上の人で年上です。そんな人のことを陰口で馬鹿にするなんてなんて後輩だろうと思い、第一印象からいまひとつでした。
そのときの僕の自動思考は、先に書いたように「なんて後輩だ」というものと、「僕も使えないやつと思われたら同じように陰口を叩かれるんだろう」というものでした。

先生は、「なぜ『自分も使えないやつと思われるかもしれない』と思ったの?」と僕に問いかけましたが、僕ははっきりとした答えを返せませんでした。というのも、当時の僕はまだ復職して間もなかったこともあり、自分のことを「仕事なんてできなくて当然。ゆっくり覚えていけばいい」とわりと大らかに考えていました。認知行動療法のおかげです。ただその反面、「自分はまだ一人前じゃない。他のみんなより仕事ができない」とも思っていました。それが、『自分も使えないやつと思われるかもしれない』という考えに至った原因なんだと思います。
僕はこれはすごく難しい問題だと感じました。「復職明けで、しかも今までやったことのない仕事をさせられるのだから、できなくて当然」ここまではいいと思います。ただそれが、「だから自分は今はまだ出来の悪いやつ」という考えに至ってしまうと、よくないのだと思います。
「できなくて当然、でも今日はあれとあれができるようになったから自分を褒めて認めてあげよう」こういう気持ちにならないと、ついつい自分を否定的に見てしまうのだと思います。
今度復職した際には、毎日その日できるようになったことをあげていき、自分を褒めて、認めてあげようと思います。
そうすれば、「僕も使えないやつと思われたら同じように陰口を叩かれるんだろう」なんていう弱気な気持ちは出てこないかもしれません。

ただ、このときの僕の自動思考は当たってしまっていて、結局Nはその数ヶ月後から僕のことを敵視するようになり、より強大なストレッサーとして僕の前に毎日立ちはだかるようになります。
先生は、「このNという人間は幼稚だ。他人の陰口を言うことで、暗に自分が優秀であるかのようにほのめかしている。それに、他のエピソードを聞いていても、甘えたり、他人をけん制したりと、子どものようだ」と言いました。それには僕も納得です。決して仕事ができない人ではなかったですが、責任感もなく、言動のひとつひとつが幼稚でした。
そんなNに振り回され、僕はしんどくなってしまいました。今になって悔しさが出てきます。あんなの相手にしなければよかった。今ではそう思います。

復職から少し経ち、今の職場に配属されたとき、「できるだけ皆と上手くやっていきたい。チームの一員として認められたい」と思っていました。たしかに聞こえはいいですが、今から思えば、そのチームは、仲良くなったり、一員として認められたりしようとするほど価値のあるチームではありませんでした。
ましてや、仲良くなれなかったり、一員として認められなかったからといって、しんどく感じる必要なんて全くなかったと思います。

合う合わないは必ずあります。たとえそのチームがすごく皆の仲がいいからといって、自分もそこで仲良くできるかは別だと思います。

次の復職ではまた別のチームに配属される予定です。
そこでは、無理になじもうとせず、なれ合わず、自分らしくやっていき、それでも合う人がいれば仲良くやっていこうと思います。仕事を一緒にする同僚だからといって、必ずしも仲良くある必要はありません。

この気持ちは忘れないようにしていきます。

  

カウンセリング【5日目】会社面談を終えて

f:id:mochi00:20200704214225j:plain

会社面談から2日後、カウンセリングの日でした。
会社面談の内容については先日の記事をご覧ください。

schema-therapy.info

 

「この1週間どうでしたか?」と、いつものように先生が尋ねます。
僕はもちろん会社面談のことを話しました。
復職までに「プロフェッショナルになることを期待している」と言われたこと、それをどこまで本気で捉えていいのか分からず不安なこと。正直に伝えました。

先生はまず、「それは上司として非常にまずい」と言いました。たしかに僕が上司でも、メンタルヘルスを理由に休職中の社員に「プロフェッショナルになることを期待している」なんて冗談でも言えません。
そして先生は、「プロフェッショナルという言葉は一旦忘れて、自分のペースで、1日3時間とかそのくらいでやってみてはどうか」と提案してきました。
僕も「それくらいなら・・・」という気持ちになりましたが、そのスキルはあまり一般的なものではなく、テキストやマニュアルの類があるわけでもなく、手探りでインターネットで情報収集することしかできないということもあり、それが不安であるという思いも伝えました。
すると先生は、「テキストがないようなものを自学自習でプロフェッショナルになれと言ってるのか」と少し呆れた様子で、「さっき言ったことは一旦忘れてほしい。1日3時間なんて決めてやらなくていいから、気が向いたらちょっと調べてみるくらいでいい」と言いました。
僕は先生にそう言われ少しほっとしました。
これまでの自分なら、「プロフェッショナルになることを期待している」なんて言われれば、結果としてプロフェッショナルになれるかどうかは別として、必死に全力で習得しようとしていたと思います。
でも、そういう考えがいろいろな場面で積み重なって、しんどくなり、つぶれてしまっていることもどこかで分かっていました。
だから僕は、「そうやって必死に頑張るのもうやめていいんだよ」と言ってもらえたような気がして、重荷がふっとなくなったような気がしたのです。
思えば、「そんなに頑張らなくていいんだよ」と言ってくれる人は、これまで僕の周りには一人も居ませんでした。頑張った結果を褒めてくれる人はそこそこ居たので、頑張り続けていました。でも、もうそれはやめてもいいのかもしれません。

さて、冒頭の話が普段より長くなりましたが、そのあとはコラムシートについて話しました。
今回コラムシートに書いた出来事は、新入社員の頃の先輩社員たちとの懇親会でのひとコマでした。
僕の会社はとても体育会系の体質で、たった1つ上の先輩でも「俺の酒が飲めないのかー!」と暴れるような会社で、その懇親会でも、一気飲みの強要や、飲むことを拒否した同期社員の首を掴んで壁に押し付けるなどの今ではとても考えられないような状況になっていました。
僕はそういう場面を目にし、「入る会社を間違えたかもしれない」「でもすぐに辞めるわけにもいかないし、こういう会社の雰囲気にも慣れていかないといけない」と考え、不安や敗北感を感じていました。
先生はその話を聞き、「この自動思考は当然だ」と言いました。これまでのコラムシートでは僕の自動思考には歪み・クセがあると言われましたが、今回はどうやら「そう考えて当然」なようです。
ただ、後半の、「慣れていかないといけない」という考えには僕の思考のクセが出てしまっているようだとのことでした。

改めてコラムシートに書いて思ったのは、なかなかに酷い状況だったな・・・ということです。新入社員という右も左も分からない状況で、唯一の頼りにできる先輩社員たちに歯向かうことはできず、見放されたらそれこそおしまいのような気持ちで毎日を過ごしていました。
研修期間の数ヶ月でしたが、あの数ヶ月で会社や同僚に対する不信感みたいなものが生まれてしまったような気がします。

先生は、「過去のことでもいいから、またコラムシートを書いてきてほしい」と言いました。僕は入社直後のいくつかのネガティブな出来事が、今の自分をつくっている一つの要素な気がしてきたので、できる限り思い出して書いてみようと思いました。

コラムシートに書くようなしんどい思いをした体験を思い出すというのは、想像以上にきついですし、それを先生といっしょにとは言え深く掘り下げていくというのはとても疲れます。
でも、やるたびに前に進めている感じはするのです。何か、核心に近づいているような気がするのです。

 

会社面談【1回目】

f:id:mochi00:20200701180532j:plain

休職から約1年半
体調を崩す日もなく、気分の落ち込みが酷い日もなくなりました。
そろそろ復職について考えるタイミングです。

僕の場合は、慢性的な生きづらさがあることから『スキーマ療法』に挑戦しているところですが、そちらはそちらで並行しながら、復職については考えていく必要があります。
そのための第一歩が会社面談だと僕は思っています。

 

約束時間の10分前
職場のビルの1階に着きました。
休職後初めて訪れることもあり、景色は懐かしく、そして休職中という身ではとても居心地の悪い場所でした。
知ってる人に会ったらどうしよう。僕のことを嫌ってるあの人に会ったらどうしよう。そんなことばかり考えてしまい、落ち着きませんでした。

約束時間の3分前、上司の携帯に電話をかけました。
「今、ビルの1階に着きました。どちらに向かえばよろしいでしょうか?」

休職前、よく先輩と二人で集中して仕事をやるときに篭っていた打合せスペースに案内されました。

「今日はお忙しいところお時間取っていただきありがとうございます」
僕から、今の体調や生活リズム、カウンセリングに通い始めたことなど一通りの近況報告をしました。
上司からは、今の会社の状況と復職後にやる仕事について説明がありました。

「復職するまでにこのソフトの使い方を習得しておいてほしい」と、上司からあるパソコン用のソフトウェアを紹介されました。
見たことがないものでした。
「習得というと、どの程度まで習得すればよいでしょうか?軽く触れる程度とか、人に教えられる程度とか・・・」
「プロフェッショナルになることを期待している。」
僕はそう言われ、ぞっとしました。
「きっと「無理のない程度でいいよ」だとか「できる範囲で構わないよ」と返ってくるだろう」と思っていたからです。
それがまさかの“プロフェッショナル”です。

いろんな気持ちが出てきました。
「プロフェッショナルの定義って何だろう?」
「休職期間中なのにそこまで求めるのか・・・」
「今日初めて聞いたソフトのプロフェッショナルに復職までになれているのだろうか?」
「もしかして冗談で言ってるのかも・・・」

今の上司は僕が休職後に赴任されたため、会うのは今日で3回目です。
正直、人柄もほとんど分かっていませんし、どういう風に接していいかも分かりません。
どういう意図で「プロフェッショナルになってほしい」と言ったのか・・・
まさか本気で言っているのか・・・

とにかく、復職に向けた1回目の会社面談は、不安が増しただけで終わりました。

 

カウンセリング【4日目】コラムシートから見えてきたスキーマ領域

f:id:mochi00:20200625223657j:plain

「この1週間どうでしたか?何か変化や、出来事はありましたか?」
そんな先生の質問からスタートしたカウンセリング4日目。
僕は、来週、会社で上司との面談があり、それが不安であることを伝えました。
休職期間中に上司が変わり、十分にコミュニケーションが取れているかというとそうではないので、余計に緊張します。
でも、復職に向けて確認しておかないといけないことはいくつかあるので、しっかりそこは聞いてきたいと思います。

さて、4回目も前回と同様に、コラムシートをもとに僕の認知の歪みやスキーマを探っていく作業をすることとなりました。
休職直前のもっともしんどかったときの、もっともしんどかった出来事です。思い出しただけでも、当時感じていた「怯え」が蘇ります。
当時の僕は本当に常に怯えていて、自席に座っているだけでもビクビクしていましたし、朝、チームの同僚が一人二人と出社してくるだけでもドキドキしていました。誰からも認識されない透明人間のような存在になれたらいいのに… と思っていました。

僕に対して明確な敵意を示していた人はたった3人ですが、その3人を含め皆(僕以外)がとても仲が良く、飲み会も頻繁にあり、休日もプライベートで遊んだりしているような仲の良さだったので、僕からすると、皆が皆、僕のことを良く思っていないように感じていました。もちろん優しく接してくれる人もいました。でも、その安心よりも怯えのほうが何倍も大きく、その人たちの優しさは、数人の明確な敵意によって打ち消されていました。

2回目のカウンセリングで提出した3つの出来事に関するコラムシートについて、確認が終わりました。
先生は、「この3つの出来事を見る限り、はっきりと第一領域のスキーマ(人との関わりが断絶されること)が強く出ていることが見て取れる。」と言いました。
僕はネガティブな出来事に対し、毎回「こんなことになるのは自分が嫌われているからだ。嫌われないように努力しなければならない。」と考えて(自動思考)いました。
そして、そのときの感情は、見放され感、突き放され感、不安、悲しさ、後ろめたさ…など。「怒りが出ていないのも特徴。いつも自分の責任だと考えている。」とも言われました。まさしくそのとおりだと思いました。
極端な例ですが、仮に同僚から「死ね」と言われたとしても、「なんでそんなことを言われなきゃいけないんだ!(怒)」という風にはまったく思わず、「何か気に障ることをしてしまっただろうか。嫌われてるからだろうな。そんなふうに言われないようにするには、嫌われないよう努力するしかない。」と自動的に考えてしまうのです。

チームの皆は仲がいいのに、自分はその輪に入れないでいる。嫌われている。という「見捨てられスキーマ」、自分は嫌われているから仕事でもまともに取り合ってもらえない。自分は嫌われているからそっけない態度を取られる。という「不信・虐待スキーマ」、自分は皆のようにチームに馴染めない。自分は皆とは違う存在だ。という「愛されない・わかってもらえないスキーマ」、そして、自分は頻繁に体調を崩し迷惑をかけているから嫌われるのも当然だ。うんざりされている。という「欠陥・恥スキーマ」、いずれの第一領域のスキーマもかなり強く出ていることが分かりました。

先生は、第一領域のスキーマは、幼少期の母親との関係性により形成される という話をされました。ただ、これについてはあまりピンと来ませんでした。たしかに前回も書いたとおり、親に褒められた記憶はありませんが、それ以外はそれといって問題のある関係性だったとは思えません。
この点についてはもう少し考察が必要かもしれません。

先生は、早期不適応的スキーマを無くしていくためには「再養育」が必要なのだと話されました。養育者(主に親)により満たされなかったものを、改めて満たす(再養育する)ことにより、早期不適応的スキーマを無くしていくということだそうです。ただ、この年齢になって親に再養育してもうなどと言うことはもちろんできませんので、自分自身で満たしていく、再養育していくことになる。とのことでした。
「褒めてもらいたいのに十分に褒めてもらえなかった」… だから形成されてしまった早期不適応的スキーマに対し、「自分自身を褒めてあげる」という再養育をすることで満たし、修正していくのです。

これはなかなか難しいことだなと思いました。というのも、早期不適応的スキーマのせいで自分を褒められない状態であるにも関わらず、自分を褒めることで、その早期不適応的スキーマを無くしていく と言うのですから、正直どこから手をつけていいものやら… という感じです。

スキーマ療法は2年とか3年とか平気でかかる と書籍などで見て理解してはいましたが、改めて大変な作業だなと実感した回でした。

しかし、カウンセリングに来ることで毎回少しずつ前進している感じはあるので、精神的にしんどいということはなく、むしろ安心感につながっています。

次回もまた1週間後です。コラムシートで、さらに過去のことについても書いてきてほしいと言われたので、何か思い出したら書いて持って行こうと思います。

それではまた。

 

早期不適応的スキーマについて

f:id:mochi00:20200623200808j:plain

3回目のカウンセリングで見え始めてきた『スキーマ』
スキーマ療法でいうスキーマとは基本的に『早期不適応的スキーマ』のことを指します。
『早期不適応的スキーマ』は、子ども時代に、子どもがふつうに持って当然の欲求が満たされないと、心が傷つき、その結果作られてしまいます。

子ども時代はそのスキーマの存在のおかげで心を守ることができたり、危機を回避できたりすることもありますが、それが大人になっても残ったままだと、いわゆる“生きづらさ”につながってしまう原因となります。

早期不適応的スキーマは以下の18種類あり、5つのスキーマ領域に分類されます。

 

■第1領域 人との関わりが断絶されること
 「愛してもらいたい。守ってもらいたい。理解してもらいたい」という中核的感情欲求が満たされない場合のスキーマ領域。

1. 見捨てられスキーマ
▶解説
 「見捨てられスキーマ」とは、「人は自分を見捨てていく存在だ」「自分はいつも人に見捨てられる」というスキーマです。このスキーマを持つ人は自分が他人と安定した関わりを継続的に持つことがイメージできません。友人であれ、恋人であれ、家族であれ、相手が誰であってもその人はいつか自分を見捨てるだろうと強く信じています。相手のことを「今たとえ目の前にいても、何かあれば、私のもとを去ってゆくだろう」と思ってしまいます。
●このスキーマを持つ人の特徴:このスキーマを持つ人の中には、見捨てられるのが怖くて相手に激しくしがみつく人もいれば、見捨てられる前に自分から相手との関係を切ってしまう人もいます。「見捨てられて傷つくぐらいなら、人との関係を持たないほうがよい」と考え、はじめから人と関わらないようにする人もいます。

2. 不信・虐待スキーマ
▶解説
 「人は基本的に自分を攻撃してくる存在だ」「人は自分を食い物にし、何もかも奪おうとする存在だ」というように、他者を「自分を虐待してくる存在だ」と考え、だから「人なんか信じてはならない」「うっかり信じたらひどい目に遭うに違いない」と、他者に向けて「不信」の目を向けるのが、この「不信・虐待スキーマ」です。
●このスキーマを持つ人の特徴:このスキーマを持つ人の多くが、他人を疑ってかかり、誰とつき合うときにも、心を開かず、本音を明かすことはありません。他人と交わらず、コミュニケーション場面でも自分のこと、個人的なことを話しません。人から親切にされるとかえって「何か企んでいるのでは?」と疑い、その人と距離をとろうとします。しかしこのスキーマを持つ人は、本当は信じたいのです。ですから「ひょっとしたらこの人を信じてもよいのではないか」という人が現れた場合、相手に過剰に期待を抱きすぎてしまう場合があります。あるいは、「相手が本当に信じられるかどうか」「実は自分をだまそうとしているのではないか」という想いに駆られ、相手を監視したり、相手の一挙手一投足にやたらと意味を見出したりしようとすることが多くあります。また、このスキーマを持つ人の中には「やられる前にやってしまえ」という思いに駆られ、やたらと好戦的、挑戦的に振る舞う人もいます。

3. 「愛されない」「わかってもらえない」スキーマ
▶解説
 「人は自分を愛してくれない」「私は人に愛される存在ではない」「人は私を理解してくれない」「誰も私のことを理解しようとしてくれない」「私の気持ちは誰にもわかってもらえない」「私は誰にも理解されない存在だ」というのがこのスキーマです。このスキーマを持つ人にとって、他人は、自分のことを心から理解したり、愛してくれたり、守ってくれたりする存在ではありません。自分は誰からも愛され、理解され、守られることがない存在です。
●このスキーマを持つ人の特徴:このスキーマを持つ人は、狂おしいほどまでに「愛されたい」「わかってもらいたい」と願っています。そういう人の中には、相手(家族や恋人、友人など)に対して、「私を愛してほしい」「私をわかってほしい」という思いを、強烈な形で向けてくる人がいます。一方、このスキーマを持ちながらも、「どうせ自分は人に愛されないんだ」「どうせわかってもらえないんだ」とあきらめている人は、人と仲良くしようとせず、人間関係がどこか投げやりだったりします。人に対してよそよそしい態度をとる人もいます。親密な関係を人と持つことを端からあきらめている人は、そもそも人と関わろうとしないかもしれません。

4. 欠陥・恥スキーマ
▶解説
 この「欠陥・恥スキーマ」は、「自分は人間として欠陥のある存在だ」「自分は根本的にダメな人間だ」「自分は生まれつき欠陥人間だ」「自分という人間は欠陥だらけで、よいところなんて何もない」という「自分は欠陥人間だ」というスキーマに、「そういう自分は人間として恥ずかしい存在だ」「こんな自分を知られたら恥ずかしくて生きていけない」という「恥」の感覚が合わさったスキーマです。
●このスキーマを持つ人の特徴:基本的にこのスキーマを持つ人は、自分の「欠陥」が他人にバレないように振る舞うことが多いです。具体的には、欠陥がバレないよう、そもそも人と一緒に行動しなかったり、人と個人的な話をしなかったりします。人に評価されるような状況をそもそも避けてしまうことも少なくありません。自分のちょっとしたしくじりに過敏に反応し、しくじった場面に二度と行かなかったり、自分のしくじりを目撃した人とのつき合いを断ってしまったりします。そういう人は自分の欠陥がバレて他人から拒絶されることにひどくおびえているのです。一方、「自分の欠陥がバレたらまずい」「そんなことがあったら恥ずかしすぎて死ぬしかない」「本当は一つも欠陥のない人間でありたい。嘘でも自分をそう思いたい」という人は「だから完璧に振る舞わなければならない」というルールを自分に課し、物事にやたらと完璧に取り組もうとする場合もあります。

5. 孤立スキーマ
▶解説
 「自分は変わり者だ」「自分は誰とも似ていない」「自分は変人だ」「自分は世界から孤立している」「自分は誰とも交われない」と考え、「世界の中で自分一人がポツンと孤立しているイメージ」「どこにも所属できず、一人ポツンと孤立しているイメージ」を持つのがこの「孤立スキーマ」です。
●このスキーマを持つ人の特徴:実際このスキーマを持つ人は、社会的場面では端っこでポツンとしていることが多いです。自分から人に話しかけようとはしません。社会的場面に出ず、引きこもっている人も少なくないでしょう。他人と交わる必要のない、自分だけの趣味に没頭する人も結構います。一方、実際このスキーマを持つ人の多くは、「本当はどこかに属したい」「居場所が欲しい」「自分が中心人物になりたい」と願っています。そういう人は、何らかのコミュニティやネットの世界において、自分がその世界の中心であるかのように振る舞ったり、やたらと熱心に他人の面倒を見ようとする場合もあるでしょう。

■第2領域 「できない自分」にしかなれないこと
 「有能な人間になりたい。いろんなことがうまくできるようになりたい」という中核的感情欲求が満たされない場合のスキーマ領域。

6. 無能・依存スキーマ
▶解説
 「自分は無能だ」「自分はできない人間だ」「私は自分一人では何一つまともにできない」と自らを「無能である」と感じ、だから「誰かに助けてもらわなければならない」「誰かに助けてもらわないとまともにできない」と他者に「依存するしかない」という強い思いを持ちます。
●このスキーマを持つ人の特徴:このスキーマを持つ人は「自分は無能だ」と信じているので、新しい課題に尻込みすることが非常に多くあります。新たな課題に直面すると、すぐに「できない」と思ってしまうからです。そして何かをする際は、やたらと人の助けを借りようとします。自分でチャレンジしようとせずに、すぐに人を頼るのです。また「できない」と信じているので、課題に手をつけず、先送りにする場合も多くあります。ただし、このスキーマを持つ人の中には、「誰の手も借りず、自分一人の力でうまくやりたい」という願望を持つ人もいて、そういう人は、誰かの助けを借りたほうがよい場合でも、無謀にもその課題にたった一人で取り組んだりします。

7. 「この世には何があるかわからないし、自分はそれらにいとも簡単にやられてしまう」スキーマ
▶解説
 ちょっと長い名前のスキーマですが、その名のとおり、「この世にはどんな恐ろしいことが起こるかわかりはしない」「自分の身に、いつ、どんな恐ろしいことが起きてもおかしくない」という思いと、「そんなことが起きたら、自分は弱いからそれに太刀打ちできない」「自分はそれを防ぐこともできないし、対処することもできない」「自分はそれにやられっぱなしになるに違いない」「自分にはどうにもできない」という思いが合体したスキーマです。ちなみに「恐ろしいこと」とは、たとえば「心臓発作」や「発狂」など自分自身のことと、自然災害や事故や事件など外的なことの両方が含まれます。
●このスキーマを持つ人の特徴:「何か起きるのではないか」「起きたらどうしよう」と、常にびくびくおびえ、警戒しています。自分の身体の異変や周囲の状況の変化に敏感で、何か変化を感じると「どうしよう」とさらにおびえます。実際に何か事が起きると、恐怖のあまり固まってしまったり、一目散にその場から逃げ出したりします。

8. 巻き込まれスキーマ
▶解説
 「自分はいつも誰か(多くは養育者)に巻き込まれている」「自分には“自分”というものがない」「自分は誰かと一体化している」「自分と誰かは二人で一つの人間だ」「誰かの考えが自分の考え、誰かの感情が自分の感情」「あまりにも他者と一体化しているので、自分が何者だかわからない」「自分は自分を生きていない」「自分がないので、生きている実感がない」といった思いがこの「巻き込まれスキーマ」の中心にあります。
●このスキーマを持つ人の特徴:このスキーマを持つ人は、常にその「誰か」と一緒に過ごし、「誰か」の考えや感情があたかも自分の体験のように感じることが多くあります。その人と一緒にいないと、自分がなくなってしまったように感じ、不安になり、その人と一緒にいようとします。自分の感情や欲求より、その人の感情や欲求に目を向け、それを満たすことによって、自分の感情や欲求を満たそうとします。自分がないので、一人で過ごすことが苦手で、常に誰かと一緒にいようとします。ただしその「誰か」といることに時に息詰まりを感じ、相手に対し、感情を爆発させたり、キレたりすることが、たまにあるかもしれません。自分が巻き込まれていることに気づいていない人の場合、巻き込まれている相手の考えや主張が、あたかも自分のものであるかのように他人に吹聴する人もいるでしょう。「自分がない」という空虚感に耐えられないとき、お酒をたくさん飲んだり、インターネットでポルノを見たり、自傷行為をしたりするなど、自分に刺激を与える行動を取る人もいるかもしれません。

9. 失敗スキーマ
▶解説
 「自分はこれまで失敗ばかりしてきた」「自分は何をやっても失敗してしまう」「これからも自分は失敗ばかりするだろう」「どうして自分はこんなに失敗ばかりなんだろう」「やったって、どうせ失敗する」というように自分の行動をことごろく「失敗」と結びつけて考えてしまうのが、この「失敗スキーマ」です。
●このスキーマを持つ人の特徴:このスキーマを持つ人は、自分の行動をことごとく「失敗」とみなすので、自分で自分にがっかりし、「自分なんか」と自分を卑下する発言をすることが多くあります。自信がないので、何か新たなことにチャレンジすることを避ける傾向があります。何か課題が課されたときも、失敗を恐れて、なかなか取り掛かれず、課題を先延ばしにしたり、「失敗するぐらいなら、やらないほうがよい」と考え、課題を放棄したりすることもあります。ときに「今度こそは頑張ろう」「今度こそは失敗するまい」と、やたらと張り切って物事に取り組むこともありますが、頑張りが長続きせず、最後までやり遂げられないことが多くみられます。

■第3領域 他者を優先し、自分を抑えること
 「自分の感情や思いを自由に表現したい。自分の意志を大切にしたい」という中核的感情欲求が満たされない場合のスキーマ領域。

10. 服従スキーマ
▶解説
 これは、相手に「嫌われたくない」「見捨てられたくない」「攻撃されたくない」「復讐されたくない」と思うあまりに、自分の欲求や感情はさておいて、相手につき従い、服従してしまうというスキーマです。
●このスキーマを持つ人の特徴:このスキーマを持つ人は、相手の機嫌をうかがう、相手の機嫌を取る、相手の言うことに反射的に従う、相手が自分に望んでいるであろう行動を自ら取る、相手の機嫌が悪いとおろおろする、相手の機嫌が悪いとどうにかして挽回しようとする…といった、相手優先の行動をことごとく取ります。その際、自分の感情や欲求はすべて蚊帳の外で、置き去りにされます。しかしそれが続くと次第に欲求不満が溜まり、ときにそれが相手に対する「逆ギレ」となって噴出することがあります。あるいは服従している相手とは別の相手(自分より弱そうな人)を、自分に服従させることで鬱憤を晴らす場合もあります。

11. 自己犠牲スキーマ
▶解説
 「自分より相手を優先するのは当然のこと」という思いがこのスキーマの中心にあります。「自分の面倒を見ることより相手の面倒を見ることのほうが当然先である」と考え(この考えがあまりにも当然すぎて、この考えが意識に上がらないこともあります)、「相手の喜びは自分の喜び」「相手の悲しみは自分の悲しみ」と感じ、相手の喜びを増やし、相手の悲しみを減らすために、「自分が何とかしなければならない」と感じるのがこのスキーマです。
●このスキーマを持つ人の特徴:常に相手を気遣います。相手の様子をさりげなく見て、せっせと相手の世話をしたり手助けしたりします。相手がつらそうだったり悲しそうだったりすると「私が何とかしてあげたい」と思って心を痛め、「何とかしてあげる」ための行動を取ります。そうすることが当然だと思っているので、お礼やねぎらいの言葉をかけられても。謙遜するばかりです。それでも相手がつらそうだと「何もしてあげられなかった」と罪悪感を抱き、相手に謝ったりします。しかし自分を犠牲にして相手のための行動を取り続けることはかなりしんどいので、時々深くため息をついたり、疲れを感じたりします。場合によってはあまりの自己犠牲的行動によって身体をこわすこともあります。

12. 「ほめられたい」「評価されたい」スキーマ
▶解説
 このスキーマの背景には「他人の評価がすべて」「他人に認められなければならない」「何とかして皆に認められたい」「他人から評価されれば自分はOK、されなければダメ」「自分の勝ちは他人からの評価次第」といった思いがあり、それが「ほめられたい」「何とかしてほめられたい」「ほめられなければ、それは自分がダメだということ」という思いとして結実します。
●このスキーマを持つ人の特徴:このスキーマを持つ人は、常に他人の評価を気にし、他人に評価されたりほめられたりするために行動します。自分の好みや意志に基づいて発言したり行動したりすることはありません。常に「他人に認められるか」「他人にほめられるか」という基準で自らの行動を選択します。逆に思うように評価されないと、「自分に価値がない」と思ってひどく落ち込みます。そして次に挽回しようとします。

■第4領域 物事を悲観し、自分や他人を追い詰めること
 「自由にのびのびと動きたい。楽しく遊びたい。生き生きと楽しみたい」という中核的感情欲求が満たされない場合のスキーマ領域。

13. 否定・悲観スキーマ
▶解説
 人生や物事の否定的な面ばかりを捉え、悲観するのがこのスキーマで、いわゆる「マイナス思考」のことです。コップに半分の水が残っていても「もう半分になってしまった」「なくなっちゃったらどうしよう」と思い悩むのです。「どうせいいことなんかない」「どうせやったってうまくいかない」「人生は苦しいことだらけ」「生きていてもいいことなんかない」という思いがこのスキーマの中心にあります。
●このスキーマを持つ人の特徴:常に物事を悪い方向に考え、心配ばかりしています。「もし……たら、どうしよう?」というのが口癖で、悪い可能性を予測し、それを防ごうとします。感情が険しく、いつも眉間に皺を寄せています。楽観的な人、明るい人を見ると、内心で「いい気なもんだ」とけなしますが、一方で、そういう人をうらやましく感じたりもします。「どうせ」という言葉も、このスキーマを持つ人の口癖です。「どうせうまくいかない」「どうせやってもしょうがない」といった言葉で自分や他人のやる気をくじきます。

14. 感情抑制スキーマ
▶解説
 様々なタイプの「感情抑制スキーマ」があります。たとえば「怒りを感じると自分は何をしだすかわからないから、感じてはならない」「こんな私が楽しんではいけない」といった特定の感情を抑制するスキーマもあれば、「感情を感じることは危険だ」「感情を感じてはならない」「理性で感情を抑えつけなければならない」「感情は完全にコントロールしなければならない」というように、感情全般を抑制しようとするスキーマもあります。また「人に自分の感情を知られてはならない」「感情を外に出してはならない」というように、感情を外に出すことを抑制するようなスキーマもあります。ただ、いずれにせよ、感情を抑制するのです。
●このスキーマを持つ人の特徴:このスキーマを持つ人は、あたかも感情などないかのように、淡々と振る舞います。それがとても「理性的」に見える場合もあるでしょう。自分の感情をコントロールし、自信に満ちているように見える人もいます。人に感情を知られるのが怖く、他人と距離を置いたつき合いしかしない人もいます。ポジティブな感情を抑制している場合、陰気で、いつもつまらなそうにしている人もいるでしょう。このスキーマを持つ人は、感情をあらわにする人、人前で怒ったり泣いたりする人をひどく馬鹿にします。しかし本当はそれがうらやましいのです。感情抑制が長年の癖になっている人は、「自分が生きている」という実感が持てません。そのような人は、自傷行為を行うなど、自分に刺激を与える行動をひそかに取っているかもしれません。

15. 完璧主義「べき」スキーマ
▶解説
 物事に取り組む際に、「物事は完璧にこなさなければならない」「やるからには高いレベルを目指したい」「ものすごくちゃんとできないと嫌だ」「100点満点でないとダメだ」などと非常に高い基準を設定し、その基準をクリアするよう、「できる限り努力すべきだ」「手抜きしてはならない」「とことんやるべきだ」「目標を達成するまで休んではならない」と追い詰めていくのがこのスキーマです。このスキーマは自分だけに向ける人と、自分と他人の両方に向ける人の2種類があります。
●このスキーマを持つ人の特徴:このスキーマを持つ人は、ものすごく頑張る、休憩を取らずに物事に没頭する、効率よくやることにやたらとこだわる、「べき」「ねばならない」が口癖である。せかせかと追い立てられるように行動する、はたから見てちっとも楽しそうでない、人にも完璧を求める、他人に自分の「べき」を当てはめて他人を追い立てたり批判したりする。どれだけ成果を出しても満足しない、結局物事を完璧にやるのは不可能なので常に不全感を抱いている、といった特徴があります。また常に全力で行動するので、時々どっと疲れたり、体調が急に悪化することもあります。

16. 「できなければ罰されるべき」スキーマ
▶解説
 人生には「うまくいかなかった」「失敗してしまった」「結局できなかった」ということがたくさんありますが、このスキーマを持つ人は、「そういう場合、人は罰されるべきだ」「うまくできなければ罰を与えられるべきだ」と信じています。このスキーマを持つ人は自分や他人を「許す」ことができません。「罰」が下らないと気が済まないのです。
●このスキーマを持つ人の特徴:自分だけにこのスキーマが向いている人の場合、とにかく自分に厳しく振る舞います。何か失敗しようものなら、「何やってるの!」と自分を叱責し、懲罰を与えます。それが激しい場合、自分を罰するために自傷行為をする人もいます。他人にもこのスキーマが向けられる場合、その人の振る舞いは、相手を責め、叱責し、懲罰を与えようとするものになります。「絶対に許さない」「覚えておけ」「罰が当たる」「いい気味だ」というのが、このスキーマを持つ人の口癖です。このスキーマを持つ人の辞書には「情状酌量」という言葉がありません。

■第5領域 自分勝手になりすぎること
 「自律性のある人間いなりたい、ある程度自分をコントロールできるようになりたい」という中核的感情欲求が満たされない場合のスキーマ領域。

17. 「オレ様・女王様」スキーマ
▶解説
 「自分は他人と違う特別な存在だ」「自分は他人とレベルの違う人間だ」「自分は特別なのだから何をしてもよい」「自分は特別な存在として皆から扱われるべきである」「他人が守るべきルールでも、自分だけは破ってもよい」「他人より優位に立ちたい」「自分だけに与えられた特権があるはずだ」「自分は自分のやりたいようにやりたい」「他人は自分に奉仕するべきだ」「自分がやりたいようにやるために、他人を利用しても構わない」といった思いが、このスキーマの中心にあります。まさに「俺はオレ様だ!」「私は女王様よ!」という感じです。
●このスキーマを持つ人の特徴:このスキーマを持つ人は、周囲に特別扱いを要求し、それが当然であるかのように振る舞います。皆が守るべきルールを平然と破ります。相手に平然と要求し、その要求が通らないと、激しくクレームをつけたりします。ルールを守るよう言われたり、ルール違反をとがめられたりすると、急に怒りだします。特別扱いされない場所ではしょんぼりし、そのような場を避けるようになります。自分のこのような傾向に気づいている人は、そのような自分んをうっすら恥じている場合もあります。

18. 「自分をコントロールできない」スキーマ
▶解説
 このスキーマは、「やりたいときにやりたいことをやりたいようにやりたい」「楽しいことは今すぐやりたい」「楽しくないことはいつまでもやりたくない」「欲しいものは今すぐ欲しい」「やるべきことより、やりたいことをやりたい」「我慢したくない」「我慢することは嫌いだ」「計画なんてどうでもいい」「心ゆくまでダラダラしたい」といった思いで構成されています。
●このスキーマを持つ人の特徴:このスキーマを持つ人は、自分をコントロールすることが非常に苦手です。やるべきことを後回しにしてやりたいことばかりやるので、期限や締め切りに間に合わなかったり、約束をキャンセルしたりすることが多くあります。夜更かししたり、食べたり飲んだりしすぎたりすることも多々あります。他人から見ると「だらしがない」「甘えている」「わがままだ」と思われることがよくあるでしょう自分のこのような傾向に気づいている人は、そのような自分をうっすら恥じている場合もあります。

 伊藤絵美 著「自分でできるスキーマ療法ワークブック Book2」より

 

早期不適応的スキーマの解説を読んでるだけでも、「あ、これ自分のことだ・・・」と思う人もいるのではないでしょうか。
こういった根深い「信念」のようなものを、適応的なものに変えていく作業、それが「スキーマ療法」です。
自分で書いていて気が遠くなりそうでしたが、続けていけば必ず結果につながると信じ、やっていこうと思います。

 

 

カウンセリング【3日目】3コラムに書いた出来事について考える

f:id:mochi00:20200617193144j:plain

 

前回までで僕の過去をあらいざらいカウンセラーに話し、晴れてカウンセラーは、“僕のことを世界で二番目に知っている人”になったわけです。
いえ、もしかしたら僕以上に僕のことを知っている人物かもしれません。僕は僕自身を十分に客観視できているかというとそうでもないと思うからです。

さて、そんなカウンセラーの先生と僕は、今回、僕が3コラムに書いた出来事について考えることになりました。

3コラムは、とりあえず思い付いた3つの出来事について書き提出しました。
いずれも今回休職するに至ったストレッサーとの出来事のため、わりと最近の出来事です。
今回はそのうちの1つについて二人で色々と深堀りしていき、結果カウンセリング時間の50分まるまるかかりました。

【3コラムの内容】

①具体的な出来事:最近、ひどくストレスを感じた(ネガティブな)出来事や状況を1つ選び、具体的に記述する

  • いつ?
    2回目の復職から約半年(部署異動から約2ヶ月)
  • どこで?誰と?
    職場で同じ課の同僚と
  • どんな状況で?(何をしていましたか?)
    初めて行なう業務について経験者である同僚にやり方を尋ねた。
  • どんな出来事が?
    最初からまともに教えるつもりがない様子で何度か尋ねてようやく教えてもらえたものの、そのやり方は間違っていた。再度尋ねるもまともに取り合ってもらえず、業務を行なえなかった。

 

②否定的な気分・感情とその強度

  • 見放され感(80%)
  • 困惑感(50%)
  • 悲しさ(50%)
  • うんざり感(30%)

③自動思考:その時どのような考えが浮かびましたか?

  • 自分は嫌われているから業務もまともに教えてもらえない。仮に教えてもらえたとしてもテキトーに教えられているのだろう。
  • 仕事を上手くやっていくには同僚に好かれないといけない。もっと飲み会やイベントに頻繁に参加し、コミュニケーションをとらないといけない。

我ながらネガティブですね…

先生はこの出来事について、「『見捨てられスキーマ』と『不信・虐待スキーマ』が出てきているように思う」と言いました。スキーマについて詳細は分かっていませんでしたが、直感的に僕もそのとおりだと思いました。

その後、資料を使い、スキーマの種類について説明を受けました。

さらに先生から、「自分は嫌われている、他人とはどこか違う と感じているようだけど、他の場面でもそのように感じることはありますか?」と聞かれました。
僕は、「中学生ぐらいから自分の容姿や喋り方が気になり自信がない。マスクを着けていると少し安心できる。ビデオなどで録音された自分の声を聴くと嫌悪感を覚える。」と答えました。
直接的な回答にはなっていないかもしれないと思いましたが、そのような考えが根底にあるから、今の僕の自信の無さや、嫌われているという感覚があるのかも と思い、そう答えました。
先生は、「決して容姿が醜いなんてことはないし、喋り方も丁寧で分かりやすいし、声もとてもいい声をしてるよ。」と言ってくださいました。
一瞬、お世辞だろうな と思いましたが、すぐに「いや、これが客観的な僕に対する評価なのかもしれない」と考えました。
もしそうであれば、僕に対する僕の評価と他者からの評価には、かなり大きな差があると感じましたし、その著しい僕の僕に対する評価の低さが、自信のなさや他人に嫌われている という感覚につながっているのでは と思いました。

僕が前回の復職後に配属された部署は、とてもチーム全員の仲が良く、オフの時間も皆で仲良く過ごしているようで、仕事終わりに飲みに行ったり、休日に皆で遊んだり という環境でした。
僕は当時まだ体調面に不安もあったので、飲み会も必要最低限の参加でしたし、休日の遊びなどにはそもそも誘われませんでしたので参加していませんでした。
そういった状況で疎外感を感じていましたが、積極的に輪に入ろうとしない自分は「嫌われて当然だ」とも思っていました。

そういった日頃の思いがベースにあったことが、3コラムに書いたような出来事が起きたとき、「自分が嫌われているからこうなったんだ」「好かれるために努力しないといけない」という自動思考が出てきた要因のひとつだと思います。

先生は「そういった考えでいるのはとてももったいない。そういった自分責めてしまうような考えを減らしていこう」と言いました。

僕も、「こういう自分を不幸にしかしない考えは無くしてしまいたい。」と思いました。

 

次回もおそらく3コラムを題材に僕のスキーマを探っていく作業が続くと思います。僕は今のところ、3コラムには今回の休職に至ったストレッサーとの出来事についてのみを書いていますが、前回、前々回の休職に至った出来事についても、思い出せる限り3コラムに書いてみようと思いました。
いろいろな側面から、自分という人間を丸裸にしてみたくなったからです。

先生が言うような「今あるスキーマを減らしていく」という作業は、とても時間がかかると思いますが、カウンセリングに来る前とは違い、着実に一歩ずつ前に進んでる感覚はあります。

来週がまた楽しみです。

 

 

カウンセリング【2日目】学生時代の出来事のヒアリング

f:id:mochi00:20200610191953j:plain

今日は二度目のカウンセリングの日でした。

相変わらず早く着いてしまいましたが、さすがに外で待機するのは暑かったので中で待たせてもらいました。

時間になると先生が呼びに来てくれました。

 

「よろしくお願いします。」

とりあえず宿題の3コラムのシートを提出しましたが、前回の最後に僕のほうから「中学生以降の出来事についても話しておきたい」とお伝えしていたので、そちらから進めることになりました。

「実は1つお話ししておきたい小学生の頃の出来事がありまして・・・」

前回、小学生時代の出来事までは話したつもりでしたが、どうしても1つだけ追加で話しておきたかったことがありました。

僕は当時、地域のサッカークラブに所属していたのですが、そのチームというのがとても雰囲気が悪く、試合でチームメイトがミスをすると罵声を浴びせたり、あからさまに態度に出してきたりと、まったくと言っていいほど励まし合えるようなチームではありませんでした。
僕はサッカー自体は好きだったので日頃の練習は楽しんでいましたが、試合になると「またミスをしてしまったら色々言われるんじゃないか」と気にするようになり楽しめなくなりました。
次第に僕は「試合には出たくない」という明確な思いを持つようになりました。

この頃から、僕のなかで「失敗を恐れる」ということが始まり、そして「失敗しないために逃げる」という行動につながるようになっていきます。

これは大人になった今でも僕のなかに深く根付いてしまっていて、まさしく「スキーマの1つではないか」と僕は思っています。

先生もこの「失敗を恐れる」という点にとても関心を持たれたようでした。

 

そして先生に促され、中学1年生から順に、いろいろな出来事(主にネガティブなもの)を話していきました。

中学生時代は、初めて「嫌がらせをされる」という経験をしました。細かい点は省きますが、「死ね」、「学校に来るな」などの手紙が靴箱に入っていたりしました。
僕はそれを友人や家族など誰にも相談せずに、なんとか自分のなかで折り合いをつけました。この頃から、自分がピンチなとき、他人に相談するのは苦手だったようです。

中学3年生のとき、親友を失いました。失ったと言っても別に亡くなったとかいうわけではなく、とあることをきっかけに親友が僕のことを避けるようになり、そのまま疎遠になってしまいました。心の底から親友と思える人だったので、とてもショックでした。
ただ、中学3年生はクラスメイトに恵まれ、次第にショックもやわらいでいきました。

高校ではいろいろありました。

僕は高校入学から半年ほどで不登校になり、高校2年生になるタイミングで転校しました。中学でいろいろ頑張りすぎたせいで、燃え尽き症候群のようになっていたのです。何にもやる気を出せず、次第に学校にも行けなくなり・・・という流れです。

転校した先は本当にゆるく、気楽でした。
たぶん当時の僕には休息が必要だったんだと思います。転校してからは学校にも通えるようになりました。

僕には高校2年生から(一度目の)大学1年生の途中までお付き合いをしてる女性がいました。この人とのトラブルで、僕は人生の底に叩き落されました。
でも、それも今となってはいい勉強になったと思っています。子どもから大人に成長するきっかけになったとも思います。

いろいろとあり、一度目の大学生活はわずか半年で終わりました。

その後、大学を受け直し、別の大学に入学しました。一度目の大学よりかなりランクが上の大学です。一度は人生の底に落ちたものの、僕はここで切り替えて、ちゃんと大学に受かり、そこで友人たちと楽しいキャンパスライフを過ごしました。先生もこの点はとても褒めてくれました。

このあたりまで話したところで、50分が経ちました。

細かく書かなかった部分の話がとても濃く、長く、今日のカウンセリングでは3コラムまでは辿り着きませんでした。

先生は改めて、僕が人生の底からなんとか這いあがってきたことをとても褒めてくれました。素直に嬉しかったです。

3コラムでは1つの出来事で50分使うようなこともあるから、じっくりやっていこうと先生が言いました。
たしかに、これまで話した過去の出来事と、3コラムに書いた最近のネガティブな出来事をしっかりと分析することで、僕のなかにある「思考のクセ」、ひいては「スキーマ」に気づくことができるのでしょうから、時間がかかるのは当然です。

過去のいろいろな出来事を一通り先生に話し、僕はスッキリしました。
これで先生は、「僕のことを僕の次に知っている人」になりました。親にも家族にも友人にも誰にも話していないことをたくさん話しました。

世界で2番目に僕のことを知っている先生と、次回からは3コラムをもとにいっしょに考えていきます。
正直、とても楽しみです。

 

楽しくなってきました。来週が楽しみです。