社会人10年目の僕がスキーマ療法に人生を賭けてみた

慢性的な生きづらさを感じ人生に幸せを感じられない僕が変われるかどうかを見届けるブログ

カウンセリング【6日目】同僚Nとの出来事

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同僚のNは僕の後輩ですが、何かと突っかかって来ることが多く、また、仕事の話をしようとしてもまともに対応をされたことがほとんどありませんでした。
僕のことを敵視していた人間は、当時職場に少なくとも3人居ましたが、そのなかでもNは別格です。
そのため、当時のことを思い出して書くコラムシートには、7割以上の確率でNがストレッサーとして登場します。

今回のカウンセリングでは、そんなNの話が中心になりました。

まだ僕が今の担当に配属されて間もない頃、Nといっしょに電車で移動する機会がありました。
そのときNは、次のプロジェクトで一緒に仕事をすることになる別チームのUさんについて、「あの人は使い物にならないと思ったほうがいいですよ」と言ってきたので、「どうして?」と聞くと、「一度話してみればわかります(笑)」と笑いながら言いました。
Uさんは僕とNからすると役職が上の人で年上です。そんな人のことを陰口で馬鹿にするなんてなんて後輩だろうと思い、第一印象からいまひとつでした。
そのときの僕の自動思考は、先に書いたように「なんて後輩だ」というものと、「僕も使えないやつと思われたら同じように陰口を叩かれるんだろう」というものでした。

先生は、「なぜ『自分も使えないやつと思われるかもしれない』と思ったの?」と僕に問いかけましたが、僕ははっきりとした答えを返せませんでした。というのも、当時の僕はまだ復職して間もなかったこともあり、自分のことを「仕事なんてできなくて当然。ゆっくり覚えていけばいい」とわりと大らかに考えていました。認知行動療法のおかげです。ただその反面、「自分はまだ一人前じゃない。他のみんなより仕事ができない」とも思っていました。それが、『自分も使えないやつと思われるかもしれない』という考えに至った原因なんだと思います。
僕はこれはすごく難しい問題だと感じました。「復職明けで、しかも今までやったことのない仕事をさせられるのだから、できなくて当然」ここまではいいと思います。ただそれが、「だから自分は今はまだ出来の悪いやつ」という考えに至ってしまうと、よくないのだと思います。
「できなくて当然、でも今日はあれとあれができるようになったから自分を褒めて認めてあげよう」こういう気持ちにならないと、ついつい自分を否定的に見てしまうのだと思います。
今度復職した際には、毎日その日できるようになったことをあげていき、自分を褒めて、認めてあげようと思います。
そうすれば、「僕も使えないやつと思われたら同じように陰口を叩かれるんだろう」なんていう弱気な気持ちは出てこないかもしれません。

ただ、このときの僕の自動思考は当たってしまっていて、結局Nはその数ヶ月後から僕のことを敵視するようになり、より強大なストレッサーとして僕の前に毎日立ちはだかるようになります。
先生は、「このNという人間は幼稚だ。他人の陰口を言うことで、暗に自分が優秀であるかのようにほのめかしている。それに、他のエピソードを聞いていても、甘えたり、他人をけん制したりと、子どものようだ」と言いました。それには僕も納得です。決して仕事ができない人ではなかったですが、責任感もなく、言動のひとつひとつが幼稚でした。
そんなNに振り回され、僕はしんどくなってしまいました。今になって悔しさが出てきます。あんなの相手にしなければよかった。今ではそう思います。

復職から少し経ち、今の職場に配属されたとき、「できるだけ皆と上手くやっていきたい。チームの一員として認められたい」と思っていました。たしかに聞こえはいいですが、今から思えば、そのチームは、仲良くなったり、一員として認められたりしようとするほど価値のあるチームではありませんでした。
ましてや、仲良くなれなかったり、一員として認められなかったからといって、しんどく感じる必要なんて全くなかったと思います。

合う合わないは必ずあります。たとえそのチームがすごく皆の仲がいいからといって、自分もそこで仲良くできるかは別だと思います。

次の復職ではまた別のチームに配属される予定です。
そこでは、無理になじもうとせず、なれ合わず、自分らしくやっていき、それでも合う人がいれば仲良くやっていこうと思います。仕事を一緒にする同僚だからといって、必ずしも仲良くある必要はありません。

この気持ちは忘れないようにしていきます。